たろうはかせの孤軍奮闘記

公認会計士目指しています。1991年生まれ26歳。現実逃避にブログでも書きます。

映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見てきたので感想を書きます。


「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」予告3

 

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 タイトル通りです。先程、アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を見てきました。公認会計士試験まであと4日という非常に大事な時期に差し掛かっているのですが、何もかも嫌になってしまったので気分転換に言ってきた次第です。これであと4日間がんばりますかね。以下ネタバレを含みます。

 

 先に断っておきますが、僕は原作小説を読んだことはありませんし、20年以上前の元ネタとなった「If もしも…」も観たことがありません。後述しますが、テレビCMをみて「ヒロインが可愛かったら見に行ってみた」だけです。好き勝手に映画の感想を書いているのですが、適当に「こんな解釈もあるのかな」くらいに流してくだされば幸いです。本当に個人的な解釈です。

 

 さて、この映画ですが、ネット上では非常に評判が悪いといっても過言ではありません。レビューサイトを幾つか拝見しましたが、「よかった」という意見と「悪い」という意見に真っ二つに分かれていました。どちらかというと「悪い」派が多いようです。

 同時期に上映されている「スパイダーマン」とか、「メアリと魔女の花」等を選択せずに、なぜこの映画を見たのかというと、アニメを作っているシャフト(アニメーション制作会社)のイラストが個人的に好みだったことがあります。物語シリーズとかまどマギとか。独特のグラフィック、「シャフ度」に代表される人形のような無機質なキャラクター、あとは新房昭之総監督の演出が好きということもありました。あとはテレビでみたCMですかね。なずなに一目惚れしました。本当に。可愛いです。こんな彼女欲しい。物語シリーズに出てくる戦場ヶ原さんに似ているのは、まあ監督とアニメーション制作会社が同じですから当たり前といえば当たり前なのですが、わざと(というか意識して作った)部分はあるでしょう。

 

 映画を観て納得したのが、上述したレビューサイトで批判が噴出している理由です。これは万人受けしないな、というのが第一印象です。結論から申し上げれば、決してこの映画はハッピーエンドではありません。それどころかバッドエンドといっても過言ではない。後味はあまりよくない。含みをもたせた終わり方となっていることもあり、その解釈は千差万別となることでしょう。最後に主人公は何処に言ったのか?海岸にいったのか?なずなを追いかけたのか?ただ単に学校を休んだのか?それぞれ想像する結末は違うはずです。小説を読めばまた解釈が変わるかもしれませんが、それはまた今度にするとして、今現在私が思っていることを書きます。この映画に対して肯定派か否定派かと問われれば、僕は肯定派です。

 

 去年の同時期に、映画「君の名は。」が公開されて爆発的ヒットとなりました。この映画が気になっている方の多くは、「君の名は。」のようなものを想像されたりしているのではないでしょうか。(僕がそうでした。)年度は違えど、8月の同じ時期に公開されていますし、「君の名は。」にしろ、「打ち上げ花火~」にしろ、非常に背景が綺麗です。作り込みが半端ない。アニメーション制作会社は異なるとはいえ、その完成度には非の打ち所がありません。

 

 しかし、既にレビューサイトにも書かれていますが、「君の名は。」をイメージするのは間違いです。良くも悪くも全く異なる作品ですし、結末もバッドエンドです。万人受けしない。対して「君の名は。」ではハッピーエンドですから、映画を見終わった時の満足感というか幸福感というか、満たされるものがあります。でも「打ち上げ花火~」はそれがない。その点が決定的な違いとなっており、この映画に批判が噴出する一要因となっているのではないかと思われます。

 

 さて、映画の本題に入りますが、まず『この映画を通じてスタッフ勢は何を伝えたかったのか?』というテーゼがあります。それについて書きます。(というか、今回はこれについて書きたかった。細かいことはまた書き足します。)

 私なりの解釈としては「”もし”、”あのとき…”なんて世界は存在しない。誰もが一度は昔に戻れたら、あの時やり直せたら…と考えたりすることはあるだろうけど、そんなことは想像することはできても、決してできることではない。大事なのは、その後悔や悔しさの念を忘れずに、今現在の時間をいきていくことだ。」です。少し格好良く書きましたが、ありていに言えば「時間は戻らない」ということです。それだけです。それだけなんです。シンプルです。

 

 映画では主人公が”もしも玉”を使って3度タイムリープします。一度目はなずなが母親に連れ去られた時、二度目は電車に乗り損ねた時、三度目は再び電車に乗り損ねた時ですね。この点は誰が観ても分かる演出です。しかし、タイムリープして過去を変えたとしても、結果は変わりませんでした。僕にはそう見えました。分かりやすい演出として、タイムリープする度に世界が歪んでいくことが挙げられます。一度目のタイムリープ時には、打ち上げ花火が平べったくなりました。二度目は花火がハートマーク?の形になり、時々水面の波紋?みたいな描写があちこちに観られました(すいません、この辺の記憶は曖昧です)。三度目は完全におかしい。”もしも玉”の結界?みたいなのが張られています。世界が主人公が創った世界であることは明らかです。確か、三度目のタイムリープ時に、主人公がなずなに対して「これが現実じゃなくても、俺の創った世界でも、この世界で君と一緒にいたい」というような事を言っていました。(すいません、このへんも曖昧です。)このような台詞や描写からも、主人公となずなが元の世界に居ないことが分かります。

 

 前述したように、結末はハッピーエンドではありません。”もしも”という主人公が願った世界は、所詮は主人公の中の世界でしかないのです。遅かれ早かれ、それは花火のように儚く消えてしまう。映画では、花火師が海岸に落ちている”もしも玉”を破壊して、その結果主人公が願った世界が崩壊してしまいました。でも仮に誰も”もしも玉”を破壊しなかったとしても、きっと同じような結末になっていたのではないでしょうか。タイトルの「打ち上げ花火~」の花火とは儚く散るイメージがありますから、このようなエンディングは、映画タイトルにこじつけることも可能でしょうか。結果として主人公がタイムリープして創った世界はなくなってしまい、最後になずなは転校、主人公とは離れ離れになってしまったのではないかというのが僕の考えです。別の見方として、なずなは転校せず、主人公と一緒に学校をサボって”駆け落ちした”というようなハッピーエンド的な解釈もあるのですが、僕はそこまで綺麗な終わり方じゃないという立場です。(最後、確か及川なずなという名前が点呼されていなかったのでそれはないか?)

 

 しかし、どのような結末もありではないでしょうか。”もしも”なんて世界は受け手によって千差万別ですから、十人が観たら十通りの”もしも”という答えがあってもいいのでないかと。それがこの映画の結末になっているんじゃないでしょうか。そこが新房昭之総監督が狙った結末ではないかと。

 

 三度目のタイムリープ時に、なずなと主人公が海に飛び込むシーンがあります。水の中でなずなと主人公がキスをして、(おそらく、なずなはそこで自分が主人公の創った世界にいることを知りました)世界が崩壊すると同時に離れ離れになりました。何処に消えたか?元の世界です。つまり、浴衣を着て、母親に無理やり連れ去られたあの世界に戻っていたのです。しかし、その世界に戻っていく途中で、”もしも玉”の破片に散りばめられていた記憶の数々を受け取りました。主人公と東京まで駆け落ちした世界、主人公と一緒に遊園地(神奈川?)に行った世界。安曇祐介と一緒にデートした世界。そこには文字通り無数の”もしも”の可能性があった訳です。しかし、現実は時に残酷といいますか、名探偵コナンではありませんが、「真実はいつもひとつ」な訳ですね。色々な”もしも”の世界が、可能性があったとしても、現実は母とその再婚相手に連れ去られた元々の世界な訳です。このことは、主人公が手に取った”もしも玉”の破片の記憶が、氷のように徐々に徐々に小さく消えていく描写からも分かります。

 

 話を戻しますが、この作品で何が言いたかったというと、「現実は変わらない」んじゃないかな、と。その一言に尽きるということです。僕も最近悲しい出来事がありましたが、しかしそれを後悔したとしても、結末は変わらない訳です。大事なのはそれを受け止めて前に進むしかないじゃないかと。ポジティブに書きましたが、いざそれを実行するというのは、非常に難しいものですよね。人を傷つけたり、傷つけられたり、「もしやり直せたら」なんて考えていると枚挙に暇がありませんが、残念ながらそれは叶わない願いです。そのような煩悶とした気持ちを、映画では”もしも玉”というアイテムを登場させることによって描写したのではないでしょうか。この演出は非常に上手い。しかし、そのようなことができたとしても、結末は変わらない。現実は変わらないのです。

 このようなバッドエンド的な結末となっている本作品ですが、僕はすごい好きです。比較対象にされがちな「君の名は。」のような結末、つまりハッピーエンドももちろんいいです。この作品で言えば、例えばなずなが転校せず、主人公とくっつく。その他、色々なしがらみも解決して幸せな結末を迎える。このような結末の方が万人受けすること確実です。後味もいいですからね。映画という世界から帰ってきた時に、心を温めてくれるものです。しかしそうしなかった。そこはさすが新房昭之総監督といいますか、川村さんもどうやら一枚かんでいるようですが、流石ですね。映画「まどマギ」のラストで全てぶっ壊したあの演出を彷彿とさせます。ハッピーエンドだけが全てじゃないんだぞと。

 

 このような結末は個人的にすごい良い。何が良いかというと、「現実は変わらないんですよ」という、多くの人が目をそむけたくなるような事実を突きつけてくる点です。極端なことを言いますと、映画って現実逃避としてのポジションもありますから、そのような人達が観たとしたら、それは裏切られた気持ちになるかもしれません。現実が嫌になったので映画の世界に来たのに、その映画の世界から「残念ながら現実は変わらないよ。それでもやってくしかないんだぜ」と冷酷に言われたらショックでしょうね。間違いなく。だから批判が噴出しているのではないでしょうか?そのような要因は少なからずあるんじゃないかと思います。(すいません、本当に好き勝手に書いているだけです。)

 

 この映画を見終わった時に、村上春樹の小説『1Q84』のとある文章を思い出しました。「打ち上げ花火~」と村上春樹という全く異なるフィールドですが。

 

過去を書き換えたところでたしかにそれほどの意味はあるまい…(中略)…過去をどれほど熱心に書き換えたところで、現在自分が置かれている状況の大筋が変化することはないだろう。時間というものは、人為的な変更を片端からキャンセルしていくだけの強い力をもっている。それは加えられた訂正に、更なる訂正を上書きして、流れを元通りに直していくに違いない。結局のところ天吾がという人間はどこまでいっても天吾でしかない。天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。それよりほかに道はない。【村上春樹 『1Q84 book2』 p96-97頁】

 

 天吾というのは 小説の主人公の一人です。時間というものは戻らないんだと。

 

 

 劇中歌もいいですね。広瀬すずさんが歌う「瑠璃色の地球」、すっごい好きです。元々松田聖子さんの曲なんでしょうか?その世代じゃないので分かりません…。歌詞冒頭で「夜明けの来ない夜は無いさ」とあります。つまり時間というものは無慈悲に進んでいくんじゃないかと。この映画にぴったりじゃないですか。打ち上げ花火が儚く消えてしまうように、想像の世界がいつか消えてしまうように、時間というものは戻らない。夜明けの来ない夜は無いさ。大事なのはそれを受け止めることだ。でもそれは、とても難しいことだ。時間がかかってもいい、”もしあのときやり直せたら…”なんてことを考えてもいい。「”もしも”の世界は誰の側にもいっぱい転がっていて、選ばれなかった”もしも”の世界を含めて今の自分ができているのかなと思うんです。(パンフレットp.29)」

 

 僕はこの映画からそういうメッセージを受け取りました。

 皆さんはどうでしょうか?